福聚講のブログ fukujukoublog

福聚講の福聚は観音経の福聚海無量よりつけました。平成20年から活動しています。

福聚講

2026-02-01から1ヶ月間の記事一覧

今日は妙好人因幡の源左の命日です。

今日は妙好人因幡の源左の命日です。 妙好人因幡の源左は1930年(昭和5年)2月20日に89歳で死去。常に如来様を信じ切っていたといわれます。源左の長男竹蔵を亡くした時「竹はなあ、この世のきりかけ(自分にあたえられた役目)を済ましてお浄土へ参らしても…

今日は国民に「諸悪莫作」の詔勅が出された日

今日は国民に「諸悪莫作」の詔勅が出された日 「日本書紀』天武四年(675)二月癸巳(19日)」「詔曰、群臣百寮及天下人民、莫作諸悪。若有犯者、随事罪之」(朝廷及び國民は「諸悪を作さざれ」、もし犯すものは随時これを罰す。「諸悪莫作」の語は『法…

十年前Aさんより頂いたお便りです。

十年前Aさんより頂いたお便りです。 「去年の8月末、出掛けに曇っていた空が、心配していた通りシトシトと雨を降らせてきたのが、ちょうど私が徳川家の菩提寺である増上寺に着いてからまもなくでした。その当時の私は、仕事のストレスが積み重なり半年程前…

「観音さま どうか人の世の苦しみをお救い下さい」

「観音さま どうか人の世の苦しみをお救い下さい」 円覚寺横田南嶺管長の「力なきままに」という動画が配信されていました。 管長様は以前に東日本大震災の慰問に行かれて以来 「『座禅さえしておけばいい』というお考えから『祈る』ことの大切さにお気付き…

「業」はすべて「共業」である。

「業」はすべて「共業」である。「大乗 の業 は縁起、相依、空 の理法の上に立 って いるので、個 人 は万人 (他人、社会)な くしては有り得な いし、 万人 (他人、社会 )は個 人なくしては有 り得な いのだから、業 (人間の行為行 動)はすべて個 人的 (不共…

一切の男子は是れ我が父。一切の女人は是れ我が母なり。

(梵網経・四十八輕戒の二十・不行放救戒)「若佛子、慈心を以ての故に放生業を行ぜよ。(梵網経・四十八輕戒の二十・不行放救戒)「若佛子、慈心を以ての故に放生業を行ぜよ。一切の男子は是れ我が父。一切の女人は是れ我が母なり。我が生生に之に従って生…

日本は世界の国々の中でほとんどただ一つの、少なくとも公的には神も仏も失った国となった

梅原猛「歓喜する円空」「円空は護法神を多く作って、日本の神々がすべて護法神となって仏法を護ることを願ったが(「飛州史」には円空の「我山岳に居て多年仏像を造り、其の地神を供養す」という言葉が残っています)、以後、仏法を排斥する神の学、国学と…

お釈迦様のご一生は武装兵に守護されていた

お釈迦様のご一生は武装兵に守護されていたことが経典には書かれています。 1、お釈迦様がお生まれになる時は武装兵に護られています。佛本行集経・樹下誕生品には摩耶夫人がお釈迦様を懐胎して父君の処へ里帰りされるとき、浄飯王は摩耶夫人の周辺を厳重に…

佛遺教經(全巻書き下し)

佛遺教經(全巻書き下し) 佛遺教經の中心的教誡は「八大人覚」(はちだいにんがく)、つまり本当の大人が覚知すべき八種の法門の教えで、小欲・知足・楽寂静・勤精進・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論の八種類。これらを守ることで悟りの境地に達することを…

涅槃会の濫觴

涅槃会の濫觴 「佛祖統記巻三十三」「如来は周の穆王五十三年壬申二月十五日入滅す。凡そ伽藍に在りては必ず供を修し禮を設く、之を佛忌と謂ふ」 「釋氏要覧」「二月十五日佛涅槃の日、天下の僧俗に営会の供養あり。即ち忌日の事なり」 「東大寺要録」に「天…

涅槃図

基本的には涅槃図は大般涅槃経をもとに描かれています。 https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwi847eLvNSNAxUYh68BHQ-xJ_cQFnoECGkQAQ&url=https%3A%2F%2Fseiganji.org%2F2019%2F02%2F18%2F%25E6%25B6…

権門上に倣れども 国を憂うる誠なし。財閥富を誇れども 社稷を念う心なし

権門上に倣れども 国を憂うる誠なし。財閥富を誇れども 社稷を念う心なし 1、今日は二二六事件(1936・2/26)から90年目です。小泉時代からの「拝金主義」「弱肉強食の売国規制緩和」「市場原理至上主義」の跋扈の後遺症による重い閉塞感の漂って居る最中…

亡弟子智泉の為の達嚫の文(弘法大師)

亡弟子智泉の為の達嚫の文(智泉大徳は天長2年2月14日(825年3月25日)に入滅されています。)「それ寥廓たる性虚は諸因を離れて凝然なり。飄蕩たる染海は衆縁に随ってもって起滅す。故によく一念の妄風は波濤を心壑に鼓ち、十二の因縁は生死を迷夢に化す。…

今日は「国分寺建立の詔」の出された日

今日は「国分寺建立の詔」の出された日です 『類聚三代格』によれば、天平13年(741年)2月14日に聖武天皇から「国分寺建立の詔」が出されています。聖武天皇の時代、八世紀前半も対外関係が緊迫していました。渤海と唐・新羅が対立関係にある中、渤海が山東…

今日は貞観の韓寇の前に阿蘓大神から兵疫起こるべしとの託宣を受け般若心経三萬巻を転読した日

今日は貞観の韓寇の前に阿蘓大神から兵疫起こるべしとの託宣を受け般若心経三萬巻を転読した日 三代実録(貞観八年866二月) 「十四日庚申、神祇官奏して言さく『肥後阿蘓大神 怒気を懐蔵す。是に由りて疫癘発し、隣境の兵を憂ふべし』と。勅す『國司は潔斎…

今日2月14日は祇王忌です。

今日2月14日は祇王忌です。 「新酒かけて見ばや祇王の墓の上(子規.)」「祇王忌の墓に寄りたる春日傘. (橋本榮治.)」「祇王祇女他無縁墓実千両(田中水桜)」等の句がありました。平家物語「祇王」には「・・その後、入道、祇王が心の内を知りたまはず。…

金勝王經祕密伽陀

金勝王經祕密伽陀 圓律師(真圓・大師の弟子)眇年にして俗を脫す。器は則ち瑚璉(尊い器)なり。江海の經論、懸河の其の辨、國家之を屈し最妙典を講ぜしむ。公予に託して伽他を覓もとむ。余時觀暇なく匠に代わりて仁に當り、凍筆を寒燈に含んで深致を釣る。…

今日は宇佐八幡宮の「鎮疫祭・御心経会」

今日は宇佐八幡宮の「鎮疫祭・御心経会」 http://www.usajinguu.com/ 「鎮疫祭は、かつて神宮境内に建立されていた、弥勒寺の守護神として奉斎された末社の八坂神社で斎行される祭典です。この祭典は「疫病災禍」を祓(はら)い鎮めるためのもので、前日の宵…

釘拔のサヲは如來の加持力。坐は法界力。我手は以我功德力。

沙石集で「以我功德力。如來加持力。及以法界力」を上手く譬えていました。釘抜の棹が如來加持力、支点から先のくぎを挟むところが法界力、押す手が我功德力であり、これでどんな重い罪業でも除くことができる、というのです。沙石集「眞言ハ以我功德力。如…

今日二月十日は大師が西明寺に移られた日です。

今日二月十日は大師が西明寺に移られた日です。御請来目録に「延暦二十四年805仲春十一日、大使等、軔ながえを本朝に旋めぐらす。ただ空海のみ、孑然けつぜんとして、勅に准じて西明寺の永忠和上の故院に留住す。ここにおいて城中を歴て名徳を訪ふに偶然にし…

大師が東大寺に灌頂道場を建立された日

大師が東大寺に灌頂道場を建立された日 弘仁十三年(822)二月十一日は、大師が東大寺に灌頂道場を建立された日です。高野大師伝に「弘仁十三年二月十一日、下官符於治部省偁「去年冬雷。恐有疫水。空海法師に宣せられ東大寺において国家の為に灌頂道場を建…

「皇室と日本精神/辻善之助」より

「皇室と日本精神/辻善之助」より 「・・あらゆる外国の文化は我が固有の文化に融合せられ海外より輸入した一切の事物は皆我が国体に融合すべく同化せられたのである。・・茲に云ところの国体、即ち換言すれば我が国家組織の根本主義のもとにすべての文化は…

滝川政次郎「日本人の国家観念と国体観念」

滝川政次郎「日本人の国家観念と国体観念」(昭和33年)1、「・・(唐の時代の)極東は高句麗・百済・日本の三国同盟と唐・新羅の二国同盟の対抗となり、日本はついに大国唐と戦いを交えるに至った。日本人の愛国心がこのときほど高揚したことは前後にそ…

天皇霊

折口信夫「大乗祭の本義」に「日本紀の敏達天皇の条を見ると、天皇霊といふ語が見えて居る(注)。此は、天子様としての威力の根元の魂といふ事で、此魂を附けると、天子様としての威力が生ずる。此が、冬祭りである。」とあります。折口は天皇は「天皇霊」…

アメリカの教科書には日本神話を紹介している

アメリカの教科書には日本神話を紹介している https://i.ytimg.com/vi/I-3czwZKzXw/maxresdefault.jpg

障がい者雇用を「義務」から「競争優位」へ変える戦略

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祈祷とは拝むことである。拝めば必ずお蔭がある。

祈祷とは拝むことである。拝めば必ずお蔭がある。 大山公淳「中院流日用作法集伝授録」より・・・「祈祷とは拝むことである。拝めば必ずお蔭がある。祈祷という言葉は大師が「秘蔵寶鑰」の中巻で一度用いられているが、密教では普通に加持という。これが本来…

2月8日は八千日分のお大師お茶湯功徳日です

2月8日は八千日分のお大師お茶湯功徳日です

日本史上初めて殺生禁断令の出た日

日本史上初めて殺生禁断令の出た日 『扶桑略記』(敏達天皇) 七年戊戌春(578)二月。「耳聡王子。年纔七歳。燒香し數經論を披見して奏曰「黒月(月の後半)・白月(月の前半)、各八・十四・(十)五日。是を六齋と為す。此日、梵王帝釋來りて國政を見…

今日は「唐大和上東征傳」が撰せられた日

唐大和上東征傳・眞人元開(淡海三船・唐僧・道璿に従って出家し、元開と号す.鑑真和上十七回忌に唐僧思託の依頼により撰す)撰 (鑑真和上の出自・出家まで)大和尚諱は鑑眞。揚州江陽縣の人也。俗姓淳于。齊の辯士髡の後也(淳于髡じゅんうこん・は戦国時…